長きに渡り、芸能界の大物俳優として活躍されている津川雅彦さん。
俳優だけではなく、映画監督、評論家、芸能プロモーターとしても大活躍をされています。
年齢を重ねてもその演技力とオーラは健在。
そんな津川雅彦さんの生い立ちや学歴、芸能界入りのキッカケを調べましたので、ご紹介します。
津川雅彦のプロフィール
《津川雅彦のプロフィール》
本名:加藤 雅彦(かとう まさひこ)
生年月日:1940年1月2日
出身地:京都府京都市
身長:171㎝
血液型:O型
所属事務所:グランパパプロダクション
津川雅彦の出身地と実家の家族構成
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津川雅彦さんは、1940年1月2日、京都府京都市にて誕生しました。
実家の家族構成は、祖父母、両親、6歳年上の兄が一人。
2人兄弟の次男として育ちます。
父方の祖父は歌舞伎狂言作家の竹芝伝蔵さん、母方の祖父は日本で初めて劇映画を作ったマキノ省三さん。
そして、父親は俳優の沢村国太郎さんで戦前の映画界で歌舞伎役者から映画俳優へと転身した大スター。
母親は女優のマキノ智子さん。
兄は俳優の長門裕之さん。
その他にも従姉妹や叔父・叔母など一族に芸能人が多数いる、芸能一家に生まれ育ちました。
そんな環境で生まれ育った津川雅彦さんは、5歳のときから子役として芸能活動を始めます。
父親の主催していた劇団の子役として、物心をつく前から芸をしこまれて育ちました。
祖父・マキノ省三さんの映画にも子役として多数出演しています。
そんな津川さんの幼少期は、両親の仕事に同行し、撮影所が遊び場だったそうです。
津川雅彦の出身小学校・中学校
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津川雅彦さんは、京都市立御室小学校出身です。
5歳の頃から子役として多数の映画に出演していた津川雅彦さん。
幼少期の芸名は、「澤村マサヒコ」という名だったようですが、その後14歳前後までは本名の「加藤雅彦」として活動をしています。
小学校を卒業した津川さんは、京都にあるカトリック系の私立中学・洛星中学校に進学します。
洛星中学は男子校で中学・高校の一貫校です。
ちなみに、現在の偏差値は66~69とかなり難関のようです。
中学校に進学した津川さんは、映画監督であった溝口健二氏に命じられ、様々な撮影所を見学に行きます。
そのおかげか、中学2年を落第。
その後は京都市内にある私立・同志社中学校に編入し、中学2年をもう一度やり直します。
当時は役者になりたくなかったようで、両親には「将来は新聞記者になりたい」と言っていたそうです。
津川雅彦の出身高校・大学
同志社中学を卒業した津川雅彦さんは、同志社高校に内部進学します。
現在の同志社高校の偏差値は71です。
ですが、新聞記者になりたかった津川さんは、同志社高校を中退し、早稲田大学高等学院に編入。
早稲田大学高等学院の偏差値は76ですので、津川さんの成績はかなり優秀だったようですね。
幼少期から様々な映画に出演していた津川雅彦さんですが、俳優としての転機が訪れたのは16歳のとき。
当時石原裕次郎さん主演の映画「狂った果実」にて、石原裕次郎さんの弟役を探していた石原慎太郎さんが津川さんを見て一目で気に入り、本格的に銀幕デビューを飾ります。
芸名も石原慎太郎さんが「津川雅彦」と名付けました。
津川さんは、この頃新聞記者を目指していましたが、夏休み中だったので「1本くらいならいいか」と軽い気持ちで出演したそうな。
ですが、映画の大ヒットと共に一気にブレイク。
瞬く間にスターダムへと駆け上ります。
芸能活動が忙しくなった津川さんは、明治大学附中野高校へ編入します。
芸能人が多く通い、芸能活動と学業の両立が行いやすい学校としても知られていますよね。
ちなみに明治大学附属中野高校の偏差値は、70です。
高校卒業後は、文化学院短大に進学した津川さん。
人気スターながらも、学業と芸能活動を両立させていたのは素晴らしいですね!
その後は日活の看板スターとなり、様々な映画に主演。
一時期人気が低迷する期間があったものの、1970年代には、必殺シリーズの悪役もこなし、再ブレイクを果たします。
長きに渡り、様々な大作に出演をし、2014年にはその功績を認められ、旭日小綬章も受章しています。
まとめ
日本の芸能界を代表する大物俳優・津川雅彦さん。
芸能名家に生まれ育ち、子役から銀幕の大スターへとのぼりつめ、日本の芸能界に多くの功績を残しました。
高齢とはなりましたが、現在も様々な方面でご活躍されており、今後もその活躍に期待しています。
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