タレント、そしてファッションデザイナーとして活躍する篠原ともえさん。
10代の頃にはシノラーとして社会現象的なブームを巻き起こしました。
そんな篠原ともえさんの出身地や家族構成などの生い立ちや出身校、芸能活動を始めたキッカケなどを紹介します。
篠原ともえのプロフィール
《篠原ともえのプロフィール》
本名:篠原友恵(しのはらともえ)
出身地:東京都青梅市
生年月日:1979年3月29日生まれ
血液型:AB型
身長:152cm
所属事務所:古舘プロジェクト
篠原ともえの出身地と実家の家族構成
1979年3月29日生まれ東京都青梅市出身の篠原ともえさん。
本名の『友恵』は、ご両親が三浦友和さん、山口百恵さんのファンだったことから名づけられました。
友和さんの『友』百恵さんの『恵』をとって『友恵』と命名されました。
篠原さんのご両親は都内で『孝寿司』というお店を経営していました。
シノラーブームの頃は『シノラー寿司』と呼ばれ、週末にはファンで大盛況だったようです。
現在は寿司屋は閉店し、ラーメン屋になっているとの噂です。
篠原ともえさんには、6歳年上と3歳年上のお兄さんがいます。、
6歳年上のお兄さんはご両親と同じ寿司職人に、3歳上のお兄さんはフランス料理人になっているそうです。
2人のお兄さんはご両親の背中を見て育ったことがわかりますね!
お互いを尊敬しあう素敵な家族です。
篠原ともえの出身小学校・中学校と芸能界デビューのキッカケ
篠原ともえさんの出身小学校は青梅市立若草小学校です。
お母さんは、ともえさんを宝塚歌劇団に入れることが夢だったようです。
ともえさんが幼い頃には、背を伸ばすため足を持って振り回されたこともあるそうです。
元々とても引っ込み思案で人見知りな性格だった篠原ともえさん。
低学年の頃は、家でひとり絵本を読んだり、お人形遊びをするのが好きでした。
小学4年生の時にバレエスタジオに入団しバレエを習い始めます。
このバレエをキッカケに篠原さんは明るい性格になったと言われています。
そして、小学校5年生の時には、ミシンの使い方を調べて、洋服を自作しています。
この頃から、将来はデザイン関係の仕事に就きたいと考える様になったそうです。
小学校卒業後は青梅市立霞台中学校に進学した篠原ともえさん。
中学時代はよくプラネタリウムを見に行っていたそうです。
また、中学では校内の不良グループにイジメを受けたそうです。
このことを母親に相談したところ『芸能界に入ったらネタになるから覚えておきなさい』とのアドバイス。
ある意味前向きなお母さんですね!
中学3年生の時、ソニーミュージックのオーディションを受けて見事!
これがキッカケとなり芸能界に入り、そして1995年に歌手としてメジャーデビューをはたしました。
篠原ともえの出身高校・大学
画像引用:https://ebizo-ichikawa.com/
篠原ともえさんの出身高校は東京都立八王子工業高校応用デザイン科です。
八王子工業高校は廃校となりましたが、当時は偏差値37~40程度の学校でした。
また、工業高校だったため男子が圧倒的に多い高校でした。
高校時代の篠原ともえさんは天文部に所属していたそうです。
高校時代の篠原ともえさんは恋多き乙女でした。
高校入学直後に、宇宙人の様に首が長くて顔が大きい男子の先輩に一目惚れ。
入学5日目には『先輩、私の大親友になってください』と告白するも見事に玉砕…
高校2年生の時、1学年上のサッカー部の先輩と付き合ったこともありました。
しかし、数日後に『君にはついていけない』と言われフラレてしまいます。
その後、その先輩は親友の彼氏になったとの辛い出来事もありました。
高校を卒業した篠原ともえさんは戸板女子短大・被服科に進学。
さらに本格的にデザイン・裁縫を学びたいと考えた篠原ともえさん。
戸板女子短大服装学科を退学し、文化女子短大服装学科に再入学します。
ちなみに、戸板女子短大と文化女子短大服装学科の偏差値は共に40程度。
しかし、ファッション業界での実績は文化女子短大のほうが勝っています。
そして、文化女子短大での経験が基となり、篠原ともえさんはファッションデザイナー中心に活躍するようになります。
まとめ
宝塚に憧れていた母親やバレエをキッカケに今のような明るい性格になった篠原ともえさん。
小学生の時から洋裁に興味を持ち、またプラネタリウムを見に行くなどの行為が今の独創的な衣装などを作り上げているのだと思います。
これからの篠原ともえさんの活躍から目が離せませんね!
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