2016年10月20日午前、、元ラグビー日本代表監督・平尾誠二さんが亡くなりました。
日本のラグビー界のスターだった平尾誠二さんの享年は53歳でした。
この記事では平尾誠二さんのラグビー界における軌跡と訃報では発表されなかった死因についてまとめてみました。
平尾誠二のプロフィール
氏名:平尾誠二(ひらおせいじ)
生年月日:1963年1月21日
身長:180cm
血液型:B型
出身地:京都府京都市南区
学歴:伏見工業高校、同志社大学
ラグビー界における平尾誠二の軌跡
画像引用:https://image.excite.co.jp/
高校時代から全国区で有名だった平尾誠二さん。
平尾さんがラグビーを始めたのは中学に入学してから…以外に遅いですね。
京都・伏見工業高校に進学した平尾誠二さん。
3年時には花園の高校ラグビー全国大会で優勝を果たします。
その実績により同志社大学にセレクションで進学。
同志社大学では全国大学ラグビー選手権で1982年から1984年に3連覇を達成。
平尾誠二さんは3連覇達成の立役者となります。
そしてイギリスのリッチモンドにラグビー留学後に1986年に神戸製鋼所に入社。
神戸製鋼所では日本ラグビー選手権で1988年から7連覇を達成。
以前に絶対的王者とされていた新日鉄釜石に並ぶ黄金時代を築きました。
1987年、1991年、1995年には日本代表選手としてワールドカップに出場。
3大会に渡り日本代表の中心選手として活躍しました。
2015年ワールドカップ以降、ラグビーブームが話題になりました。
しかし、平尾さんが活躍した当時のラグビー人気はとは比べ物になりません。
シーズンになると毎週待つに地上波テレビで試合が放映されるのは当たり前。
一流のラグビー選手はアイドル並の人気を集めることも珍しくありませんでした。
特に平尾さんは精悍な顔立ちから女性ファーンが多かったことでも有名でした。
平尾さんは雑誌にモデルとして登場し、当時はアマチュア規定に厳格だったラグビー界に一石を投じたのは有名な話です。
現役引退後には神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任。
また、1997年から2000年まで日本代表チームの監督も務めます。
1999年には監督としてワールドカップで指揮をとりました。
さらに2019年のワールドカップ日本大会に向け、組織委員会理事、事務総長特別補佐としても活躍していました。
平尾誠二の死因・激やせの原因は癌!?
2016年10月20日に訃報では報じられなかった平尾誠二さんの死因。
そのため、気になっている方も多いようです。
ただ、生前に公の場に登場した平尾誠二さんが劇ヤセしていたことより『死因は癌(ガン)ではないか?』と話題になっています。
キッカケになった写真はコチラです。
画像引用:https://hot-fashion.click/
2016年4月5日に、大阪リーガロイヤルホテルで、中小企業の経営者向けの講演会に登壇した時の写真です。
残念ながら平尾誠二さんの現役時代の猛々しい面影はありません…
また、死因は明らかにされない一方で、生前に闘病生活を送っていたことは発表されています。
そのため平尾誠二さんが癌を患っていた可能性が高いと推測されます。
日本のラグビーの黄金期を支えた平尾誠二さん。
ラグビー界の悲願である2019年ワールドカップ日本大会を控えていただけにご本人も無念だったことでしょう…
平尾誠二さんのご冥福を心よりお祈り致します。
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