この記事では、今回は 元男性のYouTuber・青木歌音さん の学歴や生い立ちについてお話ししていきます。
青木さんは、幼少期から 性別に違和感 を抱きながらも、厳格な父のもとで 本格的に野球に打ち込んでいた そうです。
しかし、そんな生活の中で、自分自身と向き合い 大きな決断 をすることになります。
果たして、どのような人生を歩んできたのか?
どんな学生時代を過ごしていたのか? 今日は 青木歌音さんの学歴と人生の転機 に迫っていきたいと思います!
それでは、早速見ていきましょう!
青木歌音さんの出身小学校
青木歌音さんは 1992年8月13日、東京都目黒区 に生まれました。
家族構成は 両親と妹の4人家族。母方の祖父がスペイン人で、祖母はスペインとフィリピンのハーフ。
お父さんは日本人なので、青木さん自身も ハーフ ということになります。
幼少期の青木さんは 女の子の遊びや、アイテムが大好き でした。
幼稚園のときは、キティーちゃんに憧れを抱いていたそうです。
しかし、幼稚園で、女の子たちは、キティーちゃんを身に着けているのに、 自分の制服には男の子用の機関車トーマスのワッペン がついている。
「なんで自分だけ違うんだろう?」と、早くも 性別に違和感を感じるようになった と言います。
とはいえ、その気持ちを周りに相談することはなく、小学校時代も「なんとなくやり過ごしていた」
そうです。
そんな青木さんに 大きな影響を与えたのが、お父さんの存在 でした。
青木さんのお父さんは とても厳格な人 で、青木さんに対して 「お前はプロ野球選手になるんだ!」 と、小さいころから厳しく指導していました。
その影響で、青木さんも自然と 野球に打ち込むようになった そうです。
しかし、このころから 「自分は本当にこのままでいいのか?」 という気持ちが、少しずつ心の中で大きくなっていきました。
青木歌音の中学校時代
青木歌音さんは 目黒区立東山中学校 に進学しました。
中学でもお父さんの影響を受け、野球部に所属し、3年間打ち込む ことになります。
しかし、このころから青木さんの心の中では、次第に 「自分の性別への違和感」 が強くなっていきました。
特に 中学2年生 になると、周囲の男女が恋愛を意識し始め、クラスの話題も恋バナが増えていきました。
しかし、青木さんはそういった話にまったく興味が持てなかったそうです。「みんなが自然に異性を好きになっていくのに、自分はなんで違うんだろう?」と悩むようになります。
試しに 女子と交際してみたこともあった そうですが、たった 3日で関係が続かなくなり、「やっぱり自分は女性とは付き合えない」と確信したといいます。
そんなある日、青木さんは タレントの椿彩奈さんの自伝本 に出会います。
そこには、椿さんが性別違和を抱えながらも、自分の人生を歩んでいく姿が描かれていました。
その内容を読んで、青木さんは 「自分の気持ちと完全に一致している!」 と感動したそうです。
そして、この本を通して、青木さんは 「男性でも手術をすれば女性になれる」 ということを初めて知りました。
この出来事が、青木さんの人生を大きく変える 最初の転機 になったのです。
青木歌音の高校時代
青木歌音さんは 高校進学のタイミングで大きな決断をします。
それは、東京を離れ 野球の強豪校である高知高校 に進学することでした。
高知高校は硬式野球部が有名で、全国大会にも出場するほどの強豪校。
おそらく スポーツ進学コース に在籍していた可能性が高いと言われています。
青木さんは ピッチャーとして142km/hの豪速球を投げる ほどの実力があり、スカウトからも注目される選手でした。
高校野球の世界では、140km/hを超える速球を投げられる投手はなかなかいません。
それほどの才能を持っていたのです。
しかし、高校1年生の時に ヘルニアを発症 してしまいます。
思うように投球ができなくなり、次第に野球から離れることに…。
結局、東京に戻ることを決意し、共栄学園高校 に編入しました。
共栄学園高校でも、一度は野球部に入部しましたが たった1日で退部 しています。
これには、自分の本当の気持ちと向き合い始めたこと が関係していたのかもしれません。
そして高校3年生の夏、ついに青木さんは 女性ホルモン剤の服用を開始 します。
これまで抱えていた違和感に対し、初めて 具体的なアクションを起こした瞬間 でした。
夏休みが終わるころには、青木さんの体にも 少しずつ変化が現れ始めていた と言います。
母親からは 「最近コソコソしているけど、なにか隠してない?」 と言われたり、学校の先生からは 「遠くから見ると女子に見えた」 などの指摘を受けるようになります。
しかし、そんな中で 決定的な出来事が起こります。 それは、父親にホルモン剤の服用がバレてしまったことでした。
学校から帰ると、家で父親が待ち構えており、「お前、女性ホルモン剤をやってるだろ?」 と詰め寄られます。
青木さんが 「女性になりたいです」 と正直に打ち明けると、父親は 涙を流しながら大激怒。
そして 「男は男らしくしろ!」 と怒鳴り、家族関係は一気に悪化してしまいました。
この出来事は、青木さんにとって 、人生で最も衝撃的な瞬間の一つ だったのではないでしょうか。
青木歌音の大学時代
高校卒業後、青木歌音さんは 共栄大学・国際経営学部 に進学しました。
共栄学園高校の系列校だったため、内部進学 という形で進んだようです。
偏差値は40と、それほど難関ではない大学ですが、青木さんにとっては 自分の未来を考える大事な時期 となりました。
しかし、大学に進学しても 家庭の状況は変わりませんでした。
高校時代に父親へカミングアウトしたものの、父親は一向に受け入れてくれず、会話もゼロの状態が続いていました。
母親は少しずつ理解を示してくれていたものの、家の中では 重たい空気が流れ続けていた そうです。
そんな状況の中で、青木さんは 20歳のとき、ついに大学を中退し、家を出ることを決意します。
もう、このままでは自分らしく生きられないと考えたのでしょう。
家出後は、中華料理店で住み込みのアルバイト を始めました。
ここから、青木さんの 完全に女性としての生活 がスタートします。
バイト先では、理解ある店長に出会い、やがて交際に発展 します。
しかし、青木さんには 明確な目標 がありました。それは、性転換手術のための資金を貯めること。
そのため、バイトだけでは資金が足りず、夜の仕事の世界にも飛び込むことになりました。
この時期は、青木さんにとって 最も苦しく、試練の多い時期 だったのかもしれません。
しかし、こうした経験を経て、青木さんは ついに大きな決断を下すことになります。
青木歌音のYouTuberとしての成功
性転換手術を終え、女性としての人生をスタートさせた青木歌音さん。
そんな彼女が次に選んだ道は 「自分の経験を発信すること」 でした。
2014年、YouTubeを開設。 当初は、トランスジェンダーであることを前面に出すのではなく、日常の様子やメイク、恋愛などのテーマを中心に動画を投稿していました。
すると、彼女の 飾らない明るいキャラクター が視聴者の心をつかみ、次第に人気が上昇。
さらに、2015年にはBSスカパーの番組で女子アナとして出演 し、メディアへの露出も増えていきます。
そして、YouTubeの登録者数は 2025年1月時点で61万人を突破!
トランスジェンダーとしての体験を赤裸々に語ることで、同じ悩みを抱える人々に勇気を与え、多くの支持を集めました。
さらに、YouTubeだけでなく 講演会やトークショー にも出演し、性の多様性について広く発信。
彼女の話に共感し、励まされる人は年々増え続けています。
しかし、順調に見えた活動の中で、フジテレビ関連や有名芸人とのトラブルを告白 するなど、波乱もありました。
それでも、自分の思いを率直に伝える姿勢は変わらず、彼女はこれからも 自身の経験を発信し続けることで、多くの人を勇気づけていく ことでしょう。
まとめ
青木歌音さんは、幼少期から 性別に違和感を抱えながらも、厳格な父のもとで野球に打ち込む少年時代 を過ごしました。
しかし、成長するにつれて 自分の本当の気持ち に気づき、高校・大学時代は 父親の期待と自身のアイデンティティの狭間で葛藤 し続けます。
そして、22歳で性転換手術を完了し、新たな人生をスタート。
その後はYouTuberとして活躍し、自らの経験を発信することで、同じ悩みを持つ人々に勇気を与え続けています。
現在はYouTubeだけでなく、講演活動を通じて社会にメッセージを発信 し、さらに影響力を広げています。
これからも、彼女の言葉が 多くの人に希望と勇気を届けることは間違いありません。
青木歌音さんの今後のさらなる活躍に、期待しましょう!
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