この記事では松田聖子さんの実家の家族構成・父親・母親・兄弟についてご紹介します。
1980年代にアイドルの頂点に君臨した松田聖子さん。
当時の街中は松田聖子さんと同じ髪型であるの女の子で溢れていました。
今回は、元祖ぶりっ子アイドル・松田聖子さんの生い立ちや実家の家族について紹介していきます。
松田聖子は戦国大名の末裔だった
画像引用:https://livedoor.blogimg.jp/
1962年3月10日福岡県久留米市荒木町(旧:三潴郡筑邦町)生まれの松田聖子さん。
蒲池家の長女として生まれました。
家族構成は、父親、母親、お兄さん、松田聖子さんの4人家族。
父親は、福岡県柳川市で柳川城主であった戦国大名・蒲池家の家系です。
具体的には、戦国時代に大名となった第16代当主の蒲池鑑盛(かまち あきもり)の三男の蒲池統安(かまち むねやす)の子孫にあたります。
松田聖子の父親は厳格な公務員だった
松田聖子さんの父親・蒲池孜(かまち つとむ)さんは、福岡県柳川市生まれで、厚生省事務官として国家公務員の仕事に携わっていました。
孜さんにとって、松田聖子さんが芸能界を目指すことには反対していました。
父親の反対するなか中、高校2年生の松田聖子さんは「ミス・セブンティーン」のコンテストの九州地区大会で見事優勝を勝ち取り全国大会出場権を手に入れます。
アイドルとしての階段を一歩ずつ駆け上がっていく松田聖子さん。
娘の行動を、真面目であり厳しい父親の孜さんは芸能界へ進もうとする娘に対して一貫して反対し続けます。
松田聖子さんが、親に内緒で受けた予選の九州地区大会に出場したことを知ると、孜さんは反対する気持ちを抑えきれずに、初めて松田聖子さんに手を上げたといいます。
父親の反対する気持ちを察した松田聖子さんは、芸能界を夢みる気持ちを抑えながら全国大会への出場を辞退します。
しかし、芸能の神様は松田聖子さんに微笑みかけます。
その全国大会では芸能界で輝けるような出場者が見当たらなかったことより、当時のCBSソニーの若松宗雄さんは、各地の予選大会の出場者100人分のデモテープを集めて音声確認をすることになります。
その中から松田聖子さんの歌声を発見した松宗雄さん。
「この子なら芸能界で活躍できるアイドルになれる」そう確信を持った若松宗雄さんは、この逸材を逃したくない一心で松田聖子さんのご実家に何度も通いつめます。
芸能界入りを反対する孜さんへ熱い思いを語るも、孜さんはなかなか承知しませんでした。
しかし少しずつ孜さんの心境にも変化が起こりはじめます。
『芸能界入りを反対し続けることは大切な娘のためになるのか?』と考えるようになった孜さん。
「3年間がんばってもダメだった時は帰ってくること」を条件として松田聖子さんの芸能界入りが許されました。
こうして1980年の4月、高校を卒業のタイミングで松田聖子さんはデビュー曲『裸足の季節』でアイドル歌手としてスタートします。
その後の松田聖子さんの芸能界での活躍ぶりは、皆さんのご存じの通りですね。
松田聖子の母親
松田聖子さんの母親である一子(かずこ)さんは、福岡県八女市の生まれ。
一子さんの実家は、江戸時代は床屋だったそうです。
松田聖子さんの芸能界を目指していたときには、反対する夫の孜さんを必死に説得をし、愛情いっぱいに娘を応援します。
芸能界入りに反対していた孜さんも、娘だけの上京では納得できず妻の一子さんも一緒に暮らすなら…と認めました。
ことから松田聖子さんと一緒に上京し、娘の芸能活動を支えました。
松田聖子さんがサンミュージック所属から独立した際に立ち上げた個人事務所の「株式会社ファンティック」では、一子さんが会長に就くことになります。
その個人事務所の代表取締役には芸能界入りを反対した父親の孜さんが就任し、松田聖子さんの娘の神田沙也加さんも歌手として所属しました。
芸能界入りを応援し、聖子さんのデビューからずっと一番近くでて支えてきた一子さん。
その支えがあって松田聖子さんはアイドル歌手としての王道を歩み進んでいくきます。
しかし、やがて二人三脚で芸能界を歩いてきた母と娘の関係に不穏な空気が流れてしまいます。
そのキッカケは、松田聖子さんが一子さんが会長を務めるファンティック事務所を退所する騒ぎが起きたことが原因。
2014年2月に松田聖子さんが退所してマネージャーを連れて新たな事務所を立ち上げてしまいます。
退所当時の噂では、松田聖子さんとマネージャーが愛人関係と報じされました。
一子さんは怒りを抑えきれず、松田聖子と数年間絶縁の関係が続くことになります。
それでも一子さんは86歳となった2018年3月には、残りの人生を「娘のために支えてあげたい」との思いを胸に、ファンティック事務所の会長職を退任することになります。
そんな母親の思いが松田聖子さんにも伝わり、以前のような母親と娘の関係性に戻れることになります。
その後はリフォームした自宅で母親の一子さんと一緒に暮らしています。
2021年11月には週刊誌で母親の一子さんが倒れたとの報道がありました。
一子さんの病名は公表されることはなく詳しい状況は分からないままでした。
しかし、2021年12月18日に突然の急逝した神田沙也加さんの葬儀が札幌市で行われた際に、一子さんも出席していたとのことより、一子さんの体調面は深刻ではないと思われます。
松田聖子の兄
松田聖子には、9歳上の兄・蒲池光久(かまち みつひさ)さんがいます。
光久さんは、卒業生に孫正義さん・堀江貴文さんなどがいる、福岡県の長進学校・久留米大学附設高等学校の出身です。
光久さんと松田聖子さんとは、小さい頃から仲良し兄妹でした。
妹のことをいつも気にかけていたので、父親の孜さん以上に芸能界入りを反対していた存在でもあります。
光久さんは高校卒業してから東海大学の職員だった時期もありますが、現在は「株式会社ファンティック」の代表取締役社長を務めています。
まとめ
松田聖子さんの生い立ちと実家の家族構成・父親・母親・兄弟をご紹介しました。
昭和から平成、そして令和へとアイドルの王道を今現在も歩んでいる松田聖子さん。
父親や兄の反対がありながらもデビューし、トップアイドルになりました。
しかしデビュー後は、松田聖子さんの父親・母親・兄の協力があったからこそトップアイドルになれたのでしょう。
松田聖子さんのアイドルとしての成功は、家族からの支えがあったからこそ実現できたようですね。
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