世界に誇る数々の名作を生みだし、日本の演劇界の重鎮であり、宝でした。
そんな蜷川幸雄さんを偲ぶ意を込め、蜷川さんの生い立ちや学歴、演劇界デビューのキッカケなどをご紹介します。
蜷川幸雄のプロフィール
《蜷川幸雄のプロフィール》
本名:蜷川 幸雄(にながわ ゆきお)
生年月日:1935年10月15日
出身地:埼玉県川口市
身長:公開なし
血液型:A型
蜷川幸雄の出身地と実家の家族構成
蜷川幸雄さんは、1935年10月15日、埼玉県川口市にて誕生しました。
実家の家族構成は、両親に姉が一人、兄3人の7人家族。
きょうだいは、姉が年長でその下に男の子が4人。
蜷川幸雄さんは、5人姉弟の末っ子でした。
両親は富山県出身。
両親は川口市内で洋服店を営んでおり、職人さんも多数、お手伝いさんもいる裕福な家庭でした。
実家の近くには川口のオートレース場があり、蜷川さんの両親はオートレースの車主もしていたそうです。
レースのオーナーにもなっていたため、選手が賞金を持ってやってくることもありました。
また、お店のお客さんの中には画家や教育者もおり、大変繁盛したお店だったようです。
年長の姉は水野麗さんというお名前で俳人をしていました。
蜷川さんは成人後は女優の真山知子さんとご結婚をされ、娘は映画監督の蜷川実花さんです。
姪にもミュージシャンや画家、女優もおり、芸能界でご活躍されている一家のようですね。
蜷川幸雄の出身小学校・中学校・高校
蜷川幸雄さんは、川口市立本町小学校出身です。
子供の頃の蜷川さんは大変内気で、怖がりだったそうです。
小学校の頃から勉学に励んでいた蜷川さんは、近所に下宿していた後の立教大学総長・濱田陽太郎氏を家庭教師として学びます。
小学校卒業後は、開成中学に進学。
開成中学は、蜷川さんが進学当時は旧制中学でした。
旧制中学とは小学校を卒業した男児が通う5年制の学校で、12歳~17歳の学生が通います。
現在の開成中学・高校は一貫校で、日本でもトップクラスの超進学校。
偏差値78と、非常に難関です。
蜷川幸雄さんが通っていた当時の開成中学・高校の偏差値は不明ですが、この頃も日本ではトップクラスの進学校。
大変優秀な生徒が集う、名門学校だったそうです。
蜷川幸雄の大学と芸能界デビューのキッカケ
画像引用:https://blogimg.goo.ne.jp/
旧制中学であった開成中学を卒業した蜷川さんは、画家を目指して東京芸術大学美術学部を受験します。
しかし、惜しくも不合格。
将来の進路に悩んでいた蜷川さんは、偶然「劇団青俳」の公演を観て衝撃を受けます。
そして、その後この劇団青俳に所属します。
当初は俳優をしていましたが、「自分は演出に向いている」と悟り、自ら劇団を結成し、演出家に転向します。
最初は小さな劇場で行っていた公演でしたが、蜷川さんの演出の才能により、若者層に人気を集めるようになります。
そして着々とその実力を発揮していった蜷川さんは、演出家としてその才能を世間に認められるようになります。
シェイクスピアやギリシャ古典劇の演出でも有名となり、その斬新で独特な演出に日本のみならず、海外公演でも活躍。
世界中にファンを得て、グローバルでその類まれな才能を認められています。
文化功労章や文化勲章なども受章し、日本の演劇界の重鎮となっていた蜷川幸雄さん。
惜しくも2016年5月12日、80歳のご年齢でお亡くなりになられました。
日本の演劇界には衝撃的なニュースとなり、数多くの芸能人やファンがその訃報に悲しみました。
まとめ
日本の演劇界を大きく変え、類まれな才能で世界を魅了してきた蜷川幸雄さん。
多くの名作を残しながらも、2016年5月に天国へと旅立ちました。
そんな故・蜷川幸雄さんの数々の名作はこれからも日本のみならず、世界において語り継がれていくことでしょう。
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