個性的なシンガーソングライターとして多くのファンを持つ矢野顕子さん。
世界的音楽家である坂本龍一さんの元妻としても知られていますね。
そんな矢野顕子さんの生い立ちや学歴、芸能界デビューのキッカケについて調べてみましたので、ご紹介します。
矢野顕子のプロフィール
《矢野顕子のプロフィール》
本名:鈴木 顕子(すずき あきこ)
生年月日:1955年2月13日
出身地:東京都
身長:159㎝
血液型:O型
所属事務所:ソニーミュージックアーティスツ
矢野顕子の出身地と実家の家族構成
画像引用:https://tarot-channeling.com/
矢野顕子さんは、1955年2月13日、東京都にて誕生しました。
実家の家族構成は、両親に弟が一人の4人家族。
父は当初、東京で医師をしておりましたが、故郷・青森で開業をするため、矢野さんが3歳のときに青森県に引っ越しをしています。
元々母方の祖父も医師をしていたそうで、祖父、父と医師の家系のようですね!
お母さんに関しては特に情報が見つからなかったのですが、医師の妻ですので、おそらく専業主婦だったのではないでしょうか。
ちなみに、医師である母方の祖父は、ロシア人と日本人との間に生まれたハーフであり、三陸沖地震や関東大震災の医療活動にも従事した人です。
一見日本人にしか見えませんが、実は矢野さんには外国の血が流れていたんですね!
そんな矢野顕子さんは、3歳のころからピアノの英才教育を受けます。
ピアノの鍵盤にカミソリを置いて弾くという、過酷な練習方法を行っていたという矢野さん。
そして、この頃からその日に起きたことなどを、ピアノの即興で表現するという教育を受けていた他、ピアノの発表会では既定の曲を即興でアレンジして表現することも行っていたそうな。
現在の矢野顕子さんの音楽の才能は、この頃の厳しいレッスンの賜物ですね。
矢野顕子の出身小学校・中学校
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矢野顕子さんの出身である小中学校は、残念ながら公開されていません。
ですが、ネットの情報によると、小学校は青森県にある、おいらせ町立百石小学校の可能性が高いようです。
小学校時代の矢野顕子さんは、3歳から続けているピアノの練習に没頭します。
ピアノの腕前は素晴らしいものだったようですが、運動面はとても苦手だったという矢野顕子さん。
水泳も全く泳げず、体育の授業は苦手。
足もクラスで一番遅く、50 m走ののベストタイムも14秒という状態でした。
そんな矢野顕子さんは、中学進学後もピアノの練習に精を出し、もはやピアノは切っても切り離せない状態となっていました。
この頃ジャズにも興味を持ち始めます。
そして、いつしかプロのミュージシャンになることを本気で目指すようになります。
矢野顕子の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ
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地元の中学校を卒業した矢野顕子さん。
プロのミュージシャンを本気で目指した彼女は、中学卒業後は単身上京をし、青山学院高等部へ入学します。
青山学院高等部は都内でも有数の進学校、偏差値は72とかなりの難易度です。
そんな超進学校に学区外から入学した矢野顕子さん。
祖父、父と医師であるため、その持ち前の頭脳も親譲りだったのでしょうか?
高校時代の矢野さんは、父親の知人であった安部譲二さんが経営するジャズクラブを訪れ、その後は安部さん宅に下宿をしながら毎晩ジャズのセッションを繰り広げます。
これが業界内では噂となり、高校2年生の時に青山学院は中退し、プロのミュージシャンとしての道を選ぶことになります。
その後は音楽プロデューサーであり、前夫であった矢野誠さんとの出会いにより、ソロ歌手としてのデビューも果たします。
そして19歳のときに矢野誠さんと結婚。
その後、矢野誠さんとは離婚をし、坂本龍一さんと再婚・離婚と続きプライベートでは様々なスキャンダルで話題になりました。
「矢野顕子」という芸名は、この時に結婚した夫の姓をそのまま使っているためだそうです。
デビューから多くの名曲を生み出し、現在は一家でニューヨークに住む矢野顕子さん。
高校中退後は、芸能活動優先のためか、復学はしていません。
まとめ
数々の名曲を世に送り出し、幅広い世代に人気のアーティスト・矢野顕子さん。
現在ではその拠点をアメリカに移し、あの溢れる才能を駆使して様々な曲にも挑戦していますよね。
そんな矢野顕子さんのこれからの活躍にはますます目が離せません。
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