デビューしてから現在まで女優として第一線で活躍している篠原涼子さん。
美しく色っぽいプロポーションは2児の母となった現在でも健在です。
そんな劣れ知らずの国民的女優である篠原涼子さんの生い立ち、家族構成、学歴、芸能界デビューのキッカケについてご紹介します。
篠原涼子のプロフィール
《篠原涼子のプロフィール》
出生名:篠原涼子(しのはらりょうこ)
生年月日:1973年8月13日
出生地:群馬県桐生市
身長:162 cm
血液型:B型
事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
篠原涼子の出身地と実家の家族構成
1973年8月13日生まれ群馬県桐生市出身の篠原涼子さん。
地元桐生市の観光大使を務めています。
3人兄弟の末っ子として生まれた篠原涼子さん。
篠原涼子さんが2歳の時に交通事故でお母さんを亡くしています。
そのため、あまりお母さんとの記憶はないようです。
3人の子供たちを男手ひとつで育ててくれたお父さん。、
お父さんは中森明菜に憧れアイドルを目指していた娘に全面協力していたようです。
洋服のチェックや履歴書の作成など父と二人三脚でサポートしてくれたそうです。
そして、大ヒットした『愛しさとせつなさと心強さと』がパチンコ店で流れると、店中のお客さんにジュースをご馳走したという武勇伝もあります(笑)
しかし、そんな最愛の父も篠原涼子さんの結婚披露パーティーを見届けるようにして、式の3日後に亡くなっています。
篠原涼子の出身小学校・中学校
篠原涼子の出身小学校は地元の群馬県桐生市立広沢小学校。
篠原さんのおてんばは地元で有名で、小学時代は男の子を手下にして遊んでいたそうです!
篠原涼子さんの手下になれるなら喜んで男の子もついてくことでしょう(笑)
小学時代は漫画部に所属しており静かに絵をかくという一面もあったようです。
中学校も地元の桐生市立広沢中学校へ進学した篠原涼子さん。
ダンス部へ入部し創作ダンスなどを披露していました。
この頃の篠原さんは、ちょっとヤンチャな女の子でした。
不良グループとつるんでコンビニ前でたむろしていたそうです。
ヤンチャになった理由として、小学6年生の時に父が再婚したこと。
その反動や寂しさで非行に走ってしまったようです。
篠原涼子の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ
中学卒業後は、高校は桐生第一高等学校へ進学した篠原涼子さん。
桐生第一高等学校には進学コース、スポーツコース、職業コースがあり、偏差値はコースによって差があります。
進学コースは偏差値56、スポーツコースは偏差値41、職業コースの偏差値38です。
歌手志望だった篠原涼子さんは、高校に入学してからははオーディションに明け暮れる日々を過ごします。
オーディションで披露する歌は、中森明菜さんの『スローモーション』。
そして、高校に進学した年に芸能事務所に無事合格し、芸能界への一歩をお踏み出します。
全力でサポートしていたお父さんも、大喜びしたこと間違いないですね!
芸能事務所に合格した篠原さんは高校1年生の夏に学校を中退しました。
そのため、大学にも進学していません。
元々はアイドル歌手志望だった篠原涼子さん。
デビュー当時に『ダウンタウンのごっつええ感じ』でコントを披露し、徐々に知名度を上げていきます。
そして1994年『恋しさと せつなさと 心強さと』の大ヒットにより、不動の地位を確立しました。
まとめ
辛い過去を乗り越えてきた篠原涼子さん。
母親になった今だからこそ、母の存在感が大きくなっているのではないでしょうか?
高校卒業を捨ててまで目指した芸能界。
その覚悟の大きさが篠原涼子さんが芸能界で成功を収めた理由かもしれませんね!
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