NHK朝ドラ『花子とアン』への出演以来・人気俳優の仲間入りをした鈴木亮平さん。
高学歴の芸能人で英語が堪能であることは有名な話ですね!
この記事では鈴木亮平さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)と出身校の偏差値、生い立ち、芸能界デビューのキッカケをご紹介します。
鈴木亮平の家族構成と出身小学校
鈴木亮平さんの出身小学校は兵庫県西宮市立津門小学校です。
鈴木さんは、1998年4月に高校に入学し、2008年3月に卒業しています。
兵庫県西宮市立津門小学校
学校名 | 兵庫県西宮市立津門小学校 |
所在地 | 〒663-8245西宮市津門呉羽町5-13 |
最寄駅 | 今津駅(阪急) |
公式サイトHP | https://www.fureai-cloud.jp/tutoe/ |
著名な卒業生 | ー |
鈴木亮平の小学校時代
兵庫県西宮市立津門小学校に進学した鈴木亮平さん。
小学校2年生の時に家族旅行でロサンゼルスに行ったことがあるそうです。
そして、この旅行がキッカケとなり、鈴木さんは英語に興味を持つようになりました。
また、鈴木さんは小学校の時にバスケットボールを始めており、高校を卒業するまで続けています。
鈴木亮平の家族構成
1983年3月29日生まれ兵庫県西宮市出身の鈴木亮平さん。
家族構成はご両親、お兄さん、鈴木亮平さん、妹さんの3人兄妹・5人家族。
2歳の頃の鈴木亮平さんの写真が残っています。
こちらが2歳の鈴木亮平さんの写真です!
じゃん!
面影がありますね(笑)
鈴木亮平さんが通っていたのは、兵庫県西宮市にある「西宮市立津門(つと)小学校」。
お父さんは建築家で、外国映画が好きな一家に育ちました。
なんと、鈴木さんは、小学1年生のころから映画は吹き替えではなく、字幕で観るのが当たり前。
英語のセリフが画面に流れ、それを追いながらストーリーを楽しむ――そんな環境が、自然と英語力と表現力の土台になっていったそうです。
さらに小学2年生のときには、ロサンゼルスにある叔父さんの家を訪れ、本場アメリカの空気を体感。
「英語が話せれば、もっといろんな人とコミュニケーションが取れるんだ!」と感じたこの体験が、英語への関心をぐっと高めました。
しかし、小学6年生のときには、阪神・淡路大震災に被災。
幸い家族や自宅に大きな被害はなかったものの、電車で訪れた神戸の街は、まるで別世界のように破壊されていたといいます。
そのとき、お父さんから言われたのが、「この景色をしっかり覚えておけ」というひと言。
この言葉と、校庭で行われた卒業式での答辞の経験は、後に「俳優として伝える」という思いにつながっていきました。
鈴木亮平さんが生まれ育った兵庫県西宮市には海も山もあります。
西宮の海側は庶民の住宅街、山側は金持ちの住む高級住宅街です。
そして鈴木亮平さんのご実家は庶民の街・海側にあったそうです。

鈴木亮平の出身中学
鈴木亮平さんの出身中学校は兵庫県西宮市立今津中学校です。
鈴木さんは、1995年4月に中学校に入学し、1998年3月に卒業しています。
兵庫県西宮市立今津中学校
学校名 | 兵庫県西宮市立今津中学校 |
所在地 | 〒663-8228 兵庫県西宮市今津二葉町5-15 |
最寄駅 | 今津駅(阪急) |
公式サイトHP | https://www.fureai-cloud.jp/imaduj/ |
著名な卒業生 | ー |
鈴木亮平の中学校時代
画像引用:https://areyakoreyaa.info/
鈴木亮平さんが通っていたのは、西宮市立今津中学校。公立のごく普通の中学校ですが、ここで彼の人生を左右する大きな転機が訪れます。
中学時代の鈴木さんは、とにかく映画に夢中。ジャッキー・チェンのアクションや『ロッキー』などの作品をレンタルしては何度も見返していたそうです。そして、次第に「俳優になりたい」と本気で考えるようになりました。
ただ、同級生の中でそんな夢を語る人はほとんどおらず、「何言ってんの?」というような反応も。ですが、そんな周囲の目がかえって負けず嫌いな性格に火をつけたと、後に語っています。
また、小学生時代から通っていたYMCAの英語教室を続けており、中学2年ではオーストラリアに10日間、3年ではアメリカに1か月のホームステイも経験。現地で英語を使って積極的に話す中で、「言葉が通じた!」という喜びを何度も感じたそうです。
その頃には洋楽も好きになり、特にセリーヌ・ディオンをよく聴いていたというエピソードも。感情をこめた歌声に触れたことで、表現者としての感性もどんどん育っていきました。
鈴木亮平の出身高校
鈴木亮平さんの出身高校は兵庫県立芦屋南高等学校(現:兵庫県立国際高校)です。
兵庫県立芦屋南高等学校は偏差値58の学校です。
鈴木さんは1998年4月に高校に入学し、2002年3月に卒業しています。
兵庫県立芦屋南高等学校(現:兵庫県立国際高校)
学校名 | 兵庫県立芦屋南高等学校(現:兵庫県立国際高校) |
学科・コース | 国際科 |
偏差値 | 58 |
所在地 | 〒659-0031 兵庫県芦屋市新浜町1-2 |
最寄駅 | 打出駅(阪神本線) |
公式サイトHP | https://www.hyogo-c.ed.jp/~ashiyaminami-hs/amh1.html |
著名な卒業生 | ー |
鈴木亮平の高校時代
鈴木亮平さんは、高校では兵庫県立芦屋南高校の国際文化科に進学しました。英語教育に力を入れていることで知られ、海外留学制度も整っていたこの学校を選んだ理由は明確でした。「高校1年生から1年間は絶対に留学する」と、あらかじめ決めていたそうです。
その言葉どおり、高校1年のときにアメリカ・オクラホマ州の農村地帯に留学。日本人どころかアジア人もいない地域で、ホストファミリーとの会話はすべて英語。スマホもSNSもない時代、逃げ場のない環境で過ごした1年は、言語力だけでなく精神的にも大きな成長のきっかけになりました。
現地の高校ではプロムにも参加し、なんと人気投票で1位に選ばれるほど現地の生徒たちと打ち解けていたそうです。アウェーな環境で自らの居場所を築き上げたその経験が、「海外でも通用する俳優になりたい」という夢を、よりリアルなものにしてくれました。
ちなみに、鈴木亮平さんが留学しようと考えたキッカケは、ズバリ恋愛です。中学生の時に行ったオーストラリアでアメリカ人の女の子に恋をしたこと。このことがキッカケでアメリカへの留学を敢行したそうです。
留学したアメリカで今度はドイツ人の女の子に恋をしてしまいます。そして、そのことがキッカケでドイツ語を一生懸命に勉強します。その結果、ドイツ人の女の子とは結ばれた…かどうかは不明ですが…
ただ、その結果、鈴木亮平さんは全国高校生ドイツ語スピーチコンテストで見事優勝を果たします!下心は勉強の原動力になりますね!(笑)
帰国後、鈴木さんはバスケットボール部にも所属し、長身を活かしてセンターとして活躍。勉強も運動も頑張る、まさに文武両道の高校生活を送っていたそうです。
鈴木亮平の出身大学と芸能界入りのキッカケ
鈴木亮平さんの出身大学は東京外国語大学 外国語学部 欧米第一課程英語専攻(現:言語文化学部)です。
東京外国語大学 外国語学部 欧米第一課程英語専攻は偏差値68の学校です。
鈴木さんは2002年4月に大学に入学し2006年3月に卒業しています。
学校名 | 東京外国語大学 |
学科・コース | 外国語学部 欧米第一課程英語専攻(現:言語文化学部) |
偏差値 | 68 |
所在地 | 〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1 |
最寄駅 | 多磨駅(西武多摩川線) |
公式サイトHP | http://www.tufs.ac.jp/ |
著名な卒業生 | 桑子真帆・夏目三久・タケカワユキヒデ 他 |
鈴木亮平の大学時代:東京外国語大学での努力と演劇漬けの日々
高校卒業後、鈴木亮平さんが進学したのは、東京都府中市にある東京外国語大学。外国語学部欧米第一課程・英語専攻という、英語の専門家を育てるエリートコースです。偏差値は68と、国立大学の中でもトップクラスの難関校。
実は、「役者になってもすぐに食べていけないかもしれない」と考え、学費のかかる私立ではなく、国立大学を志望したという堅実な一面も見せています。
在学中には、なんと英検1級も合格。当初は「プロフィールに書いたらカッコいいな」と思って記載してしまい、焦って本気で勉強を開始。2度目の挑戦で見事合格したという努力エピソードは、まさに亮平さんらしいですね。
大学では演劇サークル「劇団ダダン」に所属し、本格的に芝居の世界へ。声優の利根健太朗さんや脚本家の山岡潤平さんも同期だったそうです。
そして、初舞台の終演後、観客から「よかったよ」と声をかけられたり、涙を流す人の姿を見たことが、俳優になる決意の決定打に。人の心に直接響く演技の力に「完全にハマった」と話しています。
また、NHKで報道番組の雑用係として3年間バイトも経験。地味な仕事の中でも学ぶ姿勢を忘れず、忙しい合間を縫って映画も毎日1本、多いときは2本観るという徹底ぶり。
この時期が、まさに「演技の種」を育てた濃密な日々だったのです。
芸能界への挑戦:50社からの不採用、でも諦めない
大学3年生のある日、鈴木亮平さんはふと不安になります。
「このまま演劇サークルで活動していて、本当にプロの俳優になれるのだろうか?」と。
そこから、行動開始。履歴書を書いては芸能事務所へ郵送し、ときには直接訪問も。
その数、なんと50社以上。しかし返事はことごとく「不採用」。まさに、心が折れそうになる日々が続きました。
そんなとき、キャスティング会社を訪ねたことで、ある転機が訪れます。
「背が高いから」という理由で、モデル事務所を紹介され、芸名「友近亮平」としてモデルデビュー。当時大ファンだったお笑い芸人・友近さんにちなんだ名前だそうです。
モデルとして活動する中で、「オーディションに落ちることに慣れる」という、メンタル的な強さも手に入れたと話しています。
そして2006年、23歳のときに、俳優・塩屋俊さんが主宰する「アクターズクリニック」に入所。
ここで演技を一から学び直し、その才能を見出されます。
同年、ドラマ『レガッタ~君といた永遠~』で念願の俳優デビューを果たしました。諦めず、行動し続けたその粘り強さが、ついに夢への扉を開いたのです。
ちなみに、アクターズクリニック出身の俳優には桐谷健太さん、向井理さんがいます。また相武紗季さん、木村佳乃さん、深田恭子さん、長谷川京子さんも出身者です。
現在の活躍と“学歴がもたらした力”
鈴木亮平さんが広く知られるようになったきっかけは、2014年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』。ヒロインの夫・村岡英治役で、誠実な男性を見事に演じました。
そして翌年には、映画『俺物語!!』で主演に抜擢。30kgの増量という体当たりの役作りが話題となり、俳優としての評価を一気に高めました。
2018年にはNHK大河ドラマ『西郷どん』で、初出演にして主演の西郷隆盛役を熱演。その圧倒的な演技力はもちろん、英語のインタビューにも通訳なしで対応するなど、語学力の高さも各所で注目されています。
英語力、演劇経験、そして震災での経験――これらすべてが、今の鈴木亮平さんの芝居に深みを与えているのは間違いありません。
また、世界遺産検定1級を取得したり、「中学英語で世界一周!」という英語学習本を出版したりと、知性派俳優としても一目置かれる存在です。
鈴木亮平さんは、勉強と表現力の両方を磨き続けた“リアル文武両道”の俳優。その背景には、若き日の地道な努力がしっかりと息づいているのです
まとめ
鈴木亮平さんの出身校や生い立ち、芸能界デビューのキッカケをご紹介しました。
鈴木亮平さんのこれまでの道のりを振り返って感じるのは、「決して華々しいスタートではなかった」ということです。
50社以上の芸能事務所に断られても諦めず、英検1級にも挑戦し続け、演技もひたすら学び続けた――その姿は、まさに“コツコツ型の努力人”。
英語も、演技も、ただの才能ではなく、「自分で手に入れた力」。
夢をあきらめず、自分を信じて前に進んできたからこそ、今の鈴木亮平さんがあるのです。
どんな夢でも、簡単に叶うものではないけれど、「本気で努力を続ければ、きっと道は開ける」。
そんなメッセージを、鈴木さんの学歴と人生から私たちは受け取ることができます。
さあ、あなたの夢は何ですか?
今日から少しずつでも、一歩踏み出してみましょう。努力を続けたその先に、きっとカタチになる瞬間が待っています。
鈴木亮平のプロフィール
《鈴木亮平のプロフィール》
本名:鈴木亮平(すずきりょうへい)
生年月日:1983年3月29日
出生地:兵庫県西宮市
身長:186 cm
血液型:A型
職業:俳優
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