”投打二刀流”という類まれな才能を持ち、”日本のベーブ・ルース”との異名まで持つ大谷翔平さん。
大谷翔平さんのアメリカでの活躍は日本人にとっても誇らしいですよね!
この記事では、大谷翔平さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)と出身校の偏差値、生い立ち、少年時代の所属チームをご紹介します。
▼この記事の動画版もあるので、もし良かったら流し聞きしてください!▼
大谷翔平の出身高校・出身大学
大谷翔平さんの出身高校は花巻東高校です。
花巻東高校は偏差値44の学校です。
大谷さんは、2010年4月に同高校に入学し、2013年3月に卒業しています。
2012年ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから1位指名された大谷翔平投手。
大谷翔平さんは高校卒業後に北海道日本ハムファイターズへ入団したため大学へは進学していません。
花巻東高校
学校名 | 花巻東高等学校 |
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 44 |
所在地 | 〒025-0066 岩手県花巻市松園町55-1 |
最寄駅 | 花巻駅(JR東北本線・釜石線) |
公式サイトHP | https://www.hanamakihigashi-h.jp/ |
著名な卒業生 | 菊池雄星、岸里亮佑、高橋樹也、千葉耕太 他 |
大谷翔平の高校時代
中学校時代から大注目の存在だった大谷翔平さん。
きっといくつもの野球強豪校から、スカウトが来たことでしょう。
そんな中、花巻東高校を選んだ理由は、西武ライオンズで活躍していた岩手県出身の菊池雄星さんに憧れ、その母校でプレーしたかったからだそうです。
高校2年生の夏には、球速150km/hを記録しています。
しかし、順風満帆だった野球生活も、左足股関節を故障し半年間は投球練習さえもできませんでした。
ケガをする前は、練習量も半端なくガリガリで太れないほどの運動量だったと言います。
そのため、治療中は、良く食べて寝てをモットーとし、体重を20kgも増やしました。
このことがキッカケで、現在のしっかりとした体形を手に入れたそうですので、今となってはその時のケガは大谷翔平さんの野球人生を変えた出来事だったのかもしれません。
そして、このころから将来は「170km/h」を出すことを目標にしていた大谷翔平さん。
高校3年生の夏の岩手大会・準決勝では、アマチュア野球史上初となる球速160km/hをマークしています!
高校野球初ではなく、「アマチュア野球史上初」を高校3年生が樹立!
アマチュア野球界には、大学や社会人など数々のエリート野球選手がいますが、そんな中で高校生が最速記録を作ってしまうなんて、すごすぎますよね!
大谷翔平の出身中学校
大谷翔平さんの出身中学校は奥州市立水沢南中学校です。
大谷さんは、2007年4月に同中学校に入学し、2010年3月に卒業しています。
奥州市立水沢南中学校
学校名 | 奥州市立水沢南中学校 |
偏差値 | ― |
所在地 | 〒023-0841 岩手県奥州市水沢真城字大檀39−1 |
最寄駅 | 水沢駅(JR東北本線) |
公式サイトHP | 奥州市立水沢南中学校 公式サイト |
著名な卒業生 | 大谷龍太(社会人野球選手:大谷翔平の実兄) 吉田戦車(漫画家) 北條愁子(フリーアナウンサー) |
大谷翔平の中学校時代
中学時代の大谷翔平さんは、数々の伝説を残しています。
中学校1年生の時には、ライト側に場外ホームランを連発。
ライト側には川が流れていたため、毎回ボールを紛失していたそうです。
監督に「球がなくなるので引っ張るな」と言われてしまった大谷翔平さんは、次のボールをレフト側の場外にホームランを打ったそうです。
自由自在に場外ホームランの場所をコントロールできるなんて、常人ではありませんよね!
また、同じく中学校1年生の時には、大谷翔平さんの打力がすごすぎてピッチャーがケガする恐れがあるため、監督からピッチャーライナーは禁止されていたそうです。
ケガをするほどの打力、そしてパワー、やはり常人ではありません!
まさに、少年野球漫画に登場する主人公のような存在です!
中学校2年生からは一関シニアに所属し、全国大会に出場しています。
大谷翔平の出身小学校
大谷翔平さんの出身小学校は奥州市立姉体小学校です。
大谷さんは、2001年4月に同小学校に入学し、2007年3月に卒業しています。
奥州市立姉体小学校
学校名 | 奥州市立姉体小学校 |
所在地 | 〒023-0831 岩手県奥州市水沢姉体町京原70 |
最寄駅 | 陸中折居駅(JR東北本線) |
公式サイトHP | 奥州市立姉体小学校公式サイト |
著名な卒業生 | ― |
大谷翔平の小学校時代
小学校時代の大谷翔平さんは、とにかくスポーツ万能!
小学校2年生から5年生まで水泳を習っていましたが、大会に出場して賞状をもらっていたそうです。
また、小学校2年生から硬式野球チーム・水沢リトルに所属。
このチームには、中学校1年生まで所属していましたが、その才能はすぐに開花し、
岩手県内のチームには、大谷さんの球を打つことができる選手は誰もいなかったそうです。
やはり天才は子供のころから違うんですね!
また、小学校時代の大谷翔平さんは成績も優秀。
まさに文武両道の少年でした。
見た目もかっこいいので、きっとモテモテだったのではないでしょうか。
大谷翔平の実家の家族構成
1994年7月5日生まれ、岩手県奥州市出身の大谷翔平さん。
家族構成は、ご両親、お兄さん、お姉さん、大谷さんの5人家族。
お父さんは、地元・岩手の高校を卒業した後に、神奈川の三菱重工の硬式野球部所属の社会人野球の選手でした。
現在は、岩手県でリトルリーグの監督として活躍しています。
お母さんは、元バドミントンの選手で、中学のころには全国大会で準優勝、高校生のころには神奈川県の代表として国体に出場したこともあります。
そして、高校卒業後には、三菱重工のバドミントン部に入り、社会人選手として活躍しています。
お父さんとお母さんは、同じ三菱重工のアスリートであったことが縁で出会っています。
お兄さんは、プロ野球、独立リーグ・高知ファイティングドッグスを経て、トヨタ自動車東日本岩手工場の野球部の選手として活躍。
東北の代表として、都市対抗野球、全国大会に出場した実績もあります。
お姉さんも、高校時代まではバレーボール選手として活躍していました。
現在は看護婦をしているそうです。
ちなみに、身長が193cmもある大谷翔平さん。
ご家族もみな身長が高く、お父さんが182cm、お母さんは170cm、お兄さんが187cm、そして、お姉さんも168cmもあるそうです。
大谷さんの背が高いのは、完全に遺伝ですね。
まとめ
この記事では、大谷翔平さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)と出身校の偏差値、生い立ち、少年時代の所属チームをご紹介しました。
高校3年生の時に、プロ野球のドラフト会議で、日本ハムファイターズに1位指名を受けた大谷翔平さん。
高校卒業後には、日本ハムファイターズに入団。
そのため、大学には進学をしませんでした。
その後は、日本のプロ野球界で次々と素晴らしい記録を樹立し、2017年にはアメリカ大リーグのロサンゼルスエンジェルスに入団。
二刀流の才能をアメリカ、そして世界に見せつけ、アメリカンリーグ最優秀新人賞を受賞しています。
さらに2021年にはアメリカンリーグのMVPに輝いています。
日本のプロ野球で活躍後、アメリカへと渡った大谷翔平さん。
その才能は世界を驚かせ、次々と素晴らしい活躍を見せてくれています。
そんな大谷翔平さんのさらなるご活躍を応援しています!
大谷翔平のプロフィール
本名 | 大谷翔平(おおたにしょうへい) |
生年月日 | 1994年7月5日 |
出身地 | 岩手県奥州市 |
身長 | 193㎝ |
血液型 | B型 |
所属事務所 | ロサンゼルス・エンゼルス |
コメント