名わき役として、数々のドラマや映画で存在感を残した大杉漣さん。
突然の訃報に、日本中が驚きました。
今回は、大杉漣さんの生前の生い立ちや学歴、そして芸能界デビューのキッカケについて振り返りながら、故人を偲びたいと思います。
大杉漣のプロフィール
《大杉漣のプロフィール》
本名:大杉 孝(おおすぎ たかし)
生年月日:1951年2月21日
出身地:徳島県小松島市
身長:178㎝
血液型:B型
所属事務所:ザッコ
大杉漣の出身地と実家の家族構成
大杉漣さんは、1951年9月27日、徳島県小松島市にて誕生しました。
実家の家族構成は、両親に兄が3人という6人家族。
父親は、学校の先生をしており、中学校や高校の校長先生を務めた教育者です。
母親は、京都の銀閣寺の傍らにあった下宿屋の娘でした。
大杉さんの父は京都大学出身で、大学時代に大杉さんの母の実家である下宿屋に下宿をしており、それを機に二人は結ばれたようです。
大杉さんは、男ばかりの4人兄弟の末っ子。
男の子ばかり4人と言えばとても賑やかそうですが、末っ子ということで可愛がられたのではないでしょうか?
大杉家の兄弟はとてもやんちゃで、様々なイタズラをしていたそうです。
大杉さんも、子供の頃にイタズラで希塩酸を飲まされ、食道と胃を火傷してしまいます。
治療のため、当時は生卵をたくさん飲まされたそうな。
それ以来、生卵は大の苦手だったようです。
また、すぐ上の2番目の兄は、学生時代は番長だったそうです。
そんな男ばかりのやんちゃな家庭で育った大杉蓮さん。
子供の頃は、田園風景の広がるのどかな環境でのびのびと育ち、自宅の裏にある川でよく泳いでいたそうです。
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大杉漣の出身小学校・中学校
小学校1年生になった大杉漣さんは、小松島市立千代小学校に進学します。
同校には小学校5年生まで在籍。
小学校6年生の時には、教育者であった父の仕事の関係で、阿南市立富岡小学校に転校しています。
父親は徳島県立富岡東高校の校長を務めていたため、この頃は同校の校長官舎に一家で住んでいました。
小学校卒業後は、阿南市立富岡中学校へ進学しています。
中学校や高校の校長先生を父に持ち、校長官舎を住まいとしていた大杉蓮さん。
小中学校時代のエピソードは多くはありませんが、幼少期からサッカーを習っており、とても活発な少年時代だったようです。
大杉漣の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ
大杉漣さんの出身高校は、徳島県立城北高校です。
同校は、徳島県徳島市にある県立の共学校で、偏差値は53です。
高校時代の大杉さんは、サッカー部に所属。
ポジションは、センターフォワードで徳島県のベストイレブンにも選ばれたこともあるそうです。
また、長兄の影響から、この頃音楽にも目覚め、洋楽・邦楽ともにフォークソングにハマり、自身でギターも弾き始めたそうです。
高校を卒業した大杉さんは、明治大学に進学のため、上京。
大杉さんが在籍した同大学の学部は不明ですが、同大学の偏差値は55~65です。
大学時代には、演劇で出会い、22歳の時に劇団に所属。
そのため、大学は22歳で中退されています。
以後は、地道に舞台やピンク映画、Vシネマなどに出演し、長い下積み時代を過ごします。
そんな大杉さんに転機が訪れたのは40代になってから。
北野武監督の映画「ソナチネ」のオーディションに応募し、合格。
この作品で、圧倒的な演技力を発揮した大杉さんは、この作品を機に俳優としての知名度が上昇。
以降は、演技派の俳優として様々な作品の出演を重ね、数々の助演男優賞などを受賞します。
どんな役柄でもアドリブを入れながら役をこなし、「300の顔を持つ男」 「カメレオン俳優」としての異名も持っています。
名わき役として、多数の作品に出演し、圧倒的な存在感を見せた大杉蓮さん。
残念ながら、2018年2月に急性心不全で逝去されました。
60代になっても、ドラマや映画の主要キャストとして人気を博し、まだまだこれから活躍を期待される俳優でした。
まとめ
卓越した演技力で、人々を魅了してきた俳優・大杉蓮さん。
これからもさらなる活躍を期待されていた俳優さんですが、残念ながら突然の訃報に日本中が悲しみました。
大杉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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