個性的な名演技が魅力的な俳優・竹中直人さん。
俳優だけではなく、コメディアン、監督、声優など多方面でも活躍されていますね!
この記事では竹中直人さんの学歴(大学・高校・中学校・小学校)と出身校の偏差値をご紹介します。
竹中直人の出身大学
竹中直人さんの出身大学は多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻です。
多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻は偏差値55の学校です。
竹中直人さんは1976年4月に大学へ入学し、1980年3月に卒業しています。
多摩美術大学
学校名 | 多摩美術大学 |
学科・コース | 美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻 |
偏差値 | 55 |
所在地 | 〒158-8558 東京都世田谷区上野毛3-15-34(上野毛キャンパス) |
最寄駅 | 上野毛駅(大井町線) |
公式サイトHP | https://www.tamabi.ac.jp/index_j.html |
著名な卒業生 | 松任谷由実(歌手)、加藤諒(俳優)、夢眠ねむ(タレント) |
竹中直人の大学時代
画像引用:https://image.middle-edge.jp/
2年間の浪人を経て多摩美術大学美術部グラフィックデザイン科に進学した竹中直人さん。
大学時代は、映像演出研究会に所属し、大好きな映画の制作に没頭し、自主制作映画も作っていたという竹中直人さん。
ブルース・リーの物まねを得意とし、自らが出演、監督をする映画を作っていたといいます。
そして、大学3年生の時、テレビ番組の素人コメディアン道場にてチャンピオンに輝き、芸能界デビューを果たします。
そして同時期、劇団青年座にも入団します。
当初は物まねを中心にコメディアンとして活躍していましたが、その後は俳優として活躍の場を広げました。
そして、映画「Shall We ダンス?」の名演技にて大ブレイクとなります。
その後も多方面で活躍をし、俳優としても数々の映画やドラマの出演をされていますよね!
竹中直人の出身高校
竹中直人さんの出身高校は関東学院六浦高等学校です。
関東学院六浦高等学校は偏差値52の学校です。
竹中直人さんは1971年4月に高校へ入学し、1974年3月に卒業しています。
関東学院六浦高等学校
学校名 | 関東学院六浦高等学校 |
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 52 |
所在地 | 〒236-8504 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1 |
最寄駅 | 追浜駅(京急本線) |
公式サイトHP | https://www.kgm.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 中村裕介(作曲家)、古谷徹(声優)、小泉孝太郎(俳優) |
竹中直人の出身高校時代
中学卒業後は、内部進学にて関東学院六浦高等学校へ進学した竹中直人さん。
高校へ進学したころは、母親の急な病により、父親と二人だけの生活となった
高校では美術部に所属をしていた竹中直人さんは絵を描くことに夢中だったようですね。
病気で療養中だった母親は、入院してから2年8か月後に一時、自宅に戻ってきます。
ですが、体調は思わしくなく、起き上がることすらままならなかったといいます。
母親の体調の良い時は、お気に入りのレコードをかけて一緒に過ごしていたという竹中直人さん。
とても母思いの息子さんだったようですね。
そんな中、竹中さんは卒業式を翌日に控えた夜、何度も母親から枕元に呼び出されます。
そして、「お父さんと二人だけになっても・・・」と今後のことを事細かく話す母親。
そんな母親の言葉に「これから死ぬようなことを言わないでくれよ・・・」と悲しくなります。
そして、卒業式の日。
竹中さんの卒業を見届けるかのように、母親は54歳の若さで息を引き取ります。
自分が死ぬことを悟っての自宅での生活、そして死ぬ直前に言われた言葉。
「自分のやりたいことをどんどんやりなさい」
この最愛の母親の言葉を胸に噛みしめ、竹中直人さんは美術大学を目指しています。
竹中直人の出身中学校
竹中直人さんの出身中学校は関東学院六浦中学校です。
関東学院六浦中学校は偏差値36の学校です。
竹中直人さんは1968年4月に中学校へ入学し、1971年3月に卒業しています。
関東学院六浦中学校
学校名 | 関東学院六浦中学校 |
偏差値 | 36 |
所在地 | 〒236-8504 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1 |
最寄駅 | 追浜駅(京急本線) |
公式サイトHP | https://www.kgm.ed.jp/ |
著名な卒業生 | 小泉進次郎(衆議院議員)、佐々木智一(アナウンサー)、川添麻美(アナウンサー) |
竹中直人の中学校時代
関東学院六浦中学校に進学した竹中直人さん。
中学時代から美術部に所属をしてます。
この頃の竹中さんは絵を書くことと、映画に夢中になっていきます。
そんな竹中さんが中学3年生の3学期の頃です。
母が布団の上げ下ろしが苦しいと言い出し、健康診断を受けます。
そして、検査により、重度の結核が判明します。
この頃は、重度の結核はまだ治らないと言われていた時代です。
母はそのまま隔離病棟へ入院することになります。
竹中直人の出身小学校
竹中直人さんの出身小学校は横浜市立富岡小学校です。
竹中直人さんは1962年4月に小学校へ入学し、1968年3月に卒業しています。
横浜市立富岡小学校
学校名 | 横浜市立富岡小学校 |
所在地 | 〒236-0052 神奈川県横浜市金沢区富岡西7‐13‐1 |
最寄駅 | 京急富岡駅(京急本線) |
公式サイトHP | 横浜市立富岡小学校公式サイト |
著名な卒業生 | 荒川龍太(ボート選手) |
竹中直人の小学校時代
地元の横浜市立富岡小学校出身の竹中直人さん。
両親は映画がとても好きで、まだ少年だった竹中さんを連れて、伊勢佐木町にある映画館へよく連れだしていたそうです。
観る映画を選ばなかった両親は、ジェームズボンドなどの映画も竹中さんを連れ立って観に行き、エッチなシーンがあると母親が竹中さんの目の前で手を重ねて見せないようにしていたとか。
そんな母は、内気だった竹中さんに社交性を持たすために、学校の先生の物まねを特訓していたそうです。
「他人になりきり、笑いを取る」ということで、自然と友達の輪の中に入ることができたという竹中直人さん。
あの抜群のコミカルな演技力はこの頃、母親と特訓をしたおかげかもしれませんね!
竹中直人の出身地と実家の家族構成
1956年3月20日、神奈川県横浜市金沢区富岡にて竹中直人さんは誕生しました。
家族構成は両親と竹中さんとの3人家族。
横浜出身の父・博美さんは、横浜市にある区役所の職員。
長崎出身の母親・芳美さんは、結婚前も結婚後もデパートの呉服売り場で働いていたそうです。
母親の芳美さんは、貿易業を営む長崎の裕福な家庭で生まれ育ったものの、第一次世界大戦の戦後恐慌によって暮らしが豹変。
その後一家で横浜にやってきたそうですが、立て続けに兄弟を病気で亡くし、竹中さんの祖父である父も、1942年の横浜港ドイツ軍艦爆発事件に巻き込まれ、命を落とします。
そんな竹中さんの母・芳美さんは、直人さんが生まれた時、「子どもに悲しい思いはさせたくない。絶対に長生きして子供を育て上げる」と誓ったそうです。
竹中さんが誕生後も母は仕事を続け、週末は親子3人で一緒に過ごすというこだわりがあったようです。
幼い頃は内気な少年だったという竹中直人さん。
現在ではコミカルな演技や個性的なキャラが目立つ竹中さんですので、内気だったとは意外ですね!
竹中直人のプロフィール
本名 | 竹中直人(たけなかなおと) |
生年月日 | 1956年3月20日 |
出身地 | 神奈川県横浜市金沢区 |
身長 | 168cm |
血液型 | A型 |
所属事務所 | レディバード |
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