竹中直人の学歴と偏差値:出身校(小学校・中学校・高校・大学)と家族構成

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画像引用:https://chumoku-topic.info/wp-content/uploads/2013/10/takenaka_naoto1.jpg?resize=250%2C324個性的な名演技が魅力的な俳優・竹中直人さん。

俳優だけではなく、コメディアン、監督、声優など多方面でも活躍されていますね!

そんな竹中直人さんの学歴や実家の家族構成、そして芸能界デビューのキッカケをご紹介します!

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竹中直人の出身地と実家の家族構成

 

画像引用:https://netbitrate.com/

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1956年3月20日、神奈川県横浜市金沢区富岡にて竹中直人さんは誕生しました。

家族構成は両親と竹中さんとの3人家族。

一人っ子のようですね。

横浜出身の父・博美さんは、横浜市にある区役所の職員。

長崎出身の母親・芳美さんは、結婚前も結婚後もデパートの呉服売り場で働いていたそうです。

母親の芳美さんは、貿易業を営む長崎の裕福な家庭で生まれ育ったものの、第一次世界大戦の戦後恐慌によって暮らしが豹変。

その後一家で横浜にやってきたそうですが、立て続けに兄弟を病気で亡くし、竹中さんの祖父である父も、1942年の横浜港ドイツ軍艦爆発事件に巻き込まれ、命を落とします。

そんな竹中さんの母・芳美さんは、直人さんが生まれた時、「子どもに悲しい思いはさせたくない。絶対に長生きして子供を育て上げる」と誓ったそうです。

竹中さんが誕生後も母は仕事を続け、週末は親子3人で一緒に過ごすというこだわりがあったようです。

幼い頃は内気な少年だったという竹中直人さん。

現在ではコミカルな演技や個性的なキャラが目立つ竹中さんですので、内気だったとは意外ですね!

 

竹中直人の出身小学校・中学校

 

画像引用:https://butigire.link/

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親子3人の時間を楽しく過ごしていた竹中さんは、地元の横浜市立富岡小学校に入学します。

両親は映画がとても好きで、まだ少年だった竹中さんを連れて、伊勢佐木町にある映画館へよく連れだしていたそうです。

観る映画を選ばなかった両親は、ジェームズボンドなどの映画も竹中さんを連れ立って観に行き、エッチなシーンがあると母親が竹中さんの前で手を重ねて見せないようにしていたとか。

そんな母は、内気だった竹中さんに社交性を持たすために、学校の先生の物まねを特訓していたそうです。

「他人になりきり、笑いを取る」ということで、自然と友達の輪の中に入ることができたという竹中直人さん。

あの抜群のコミカルな演技力はこの頃、母親と特訓をしたおかげかもしれませんね!

そして、だんだんと社交性を身につけてきた竹中さんは、関東学院六浦中学校に入学します。

ちなみに関東学院六浦中学の偏差値は50で、中高一貫校です。

中学では美術部に所属をしていた竹中さん。

この頃の竹中さんは絵を書くことと、映画に夢中になっていきます。

そんな竹中さんが中学3年生の3学期の頃です。

母が布団の上げ下ろしが苦しいと言い出し、健康診断を受けます。

そして、検査により、重度の結核が判明します。

この頃は、重度の結核はまだ治らないと言われていた時代です。

母はそのまま隔離病棟へ入院することになります。

 

竹中直人の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ

 

画像引用:https://image.middle-edge.jp/

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母の急な病により、父と二人だけの生活となった竹中直人さん。

中学卒業後は、内部進学にて関東学院六浦高等学校へ進学します。

関東学院六浦高校の偏差値は52です。

高校でも美術部に所属をしていた竹中さん。

絵を描くことに夢中だったようですね。

病気で療養中だった母は、入院してから2年8か月後に一時、自宅に戻ってきます。

ですが、体調は思わしくなく、起き上がることすらままならなかったといいます。

母の体調の良い時は、お気に入りのレコードをかけて一緒に過ごしていたという竹中直人さん。

とても母思いの息子さんだったようですね。

そんな中、竹中さんは卒業式を翌日に控えた夜、何度も母から枕元に呼び出されます。

そして、「お父さんと二人だけになっても・・・」と今後のことを事細かく話す母。

そんな母の言葉に「これから死ぬようなことを言わないでくれよ・・・」と悲しくなります。

そして、卒業式の日。

竹中さんの卒業を見届けるかのように、母は54歳にて息を引き取ります。

自分の死ぬことを悟っての自宅での生活、そして死ぬ直前に言われた言葉。

「自分のやりたいことをどんどんやりなさい」

この最愛の母の言葉を胸に噛みしめ、竹中さんは2年間の浪人を経て、多摩美術大学美術部グラフィックデザイン科に進学します。

大学時代は、映像演出研究会に所属し、大好きな映画の制作に没頭し、自主制作映画も作っていたという竹中直人さん。

ブルース・リーの物まねを得意とし、自らが出演、監督をする映画を作っていたといいます。

そして、大学3年生の時、テレビ番組の素人コメディアン道場にてチャンピオンに輝き、芸能界デビューを果たします。

そして同時期、劇団青年座にも入団します。

当初は物まねを中心にコメディアンとして活躍していましたが、その後は俳優として活躍の場を広げました。

そして、映画「Shall We ダンス?」の名演技にて大ブレイクとなります。

その後も多方面で活躍をし、俳優としても数々の映画やドラマの出演をされていますよね!

 

まとめ

 

コミカルからシリアスな演技まで、あらゆる個性的な名演技を見せる竹中直人さん。

そんな明るいイメージの竹中さんですが、実は最愛の母を少年時代に亡くし、母の遺言を胸に自分の夢に向かって頑張ってきていたのですね!

そんな竹中直人さんの今後のさらなる活躍に、大きく期待しています!

 

竹中直人のプロフィール

 

《竹中直人のプロフィール》
画像引用:https://alwaysnewstrend.com/wp-content/uploads/2013/05/da047259fc536d0ce7bd2be1cb497a55.jpg本名:竹中 直人(たけなか なおと)
生年月日: 1956年3月20日
出身地:神奈川県横浜市
身長:168cm
血液型:A型
所属事務所:レディーバード

 

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