がぞういんよう:http://newssokuho.com/wp-content/uploads/2016/10/saw.jpgおっとりとした独特な雰囲気で人気となった渡部陽一さん。

本業は専業カメラマンという異色の経歴の持ち主で、芸能界の中でも謎の多い人物ですよね。

そんな渡部陽一さんの生い立や家族構成、学歴、芸能界デビューを紹介します。


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渡部陽一のプロフィール

 

《渡部陽一のプロフィール》
画像引用:http://anincline.com/wp-content/uploads/2016/03/75b5bb947e87fb38663d70ef08c59ceb.png?fit=400%2C295本名:渡部 陽一(わたなべよういち)
生誕:1972年9月1日
出身地:静岡県富士市
身長:180cm
血液型:A型
所属事務所:Be.Brave Group

 

 

渡部陽一の出身地と実家の家族構成

 

画像引用:https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-88-57/koolooo1/folder/62519/76/12943676/img_3?1373276477

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1972年9月1日生まれ静岡県富士市育ちの渡部陽一さん。

富士市は富士山のふもとに位置し、毎日富士山が見える、のどかな街です。

渡部さんも小さい頃は毎日富士山を眺めていたのでしょう。

毎日富士山を見ながら生活するなんて羨ましいですね。

家族構成は、ご両親、渡部さ、弟さん、妹さんの5人家族です。

父はサラリーマン、母はパート勤めと一般的な家庭で育ったそうです。

ちなみに当時からしゃべり方は特徴的で、友人には話し方が変だと言われていたそうです。

確かに活発な子供時代の渡部陽一さんはあまり想像できませんね(笑)

また、現在では戦場カメラマンを本業として活動もしている渡部陽一さん。

しかし、子供の頃は魚博士になることが夢でした。

当時は魚博士になるために、魚の種類を暗記したり、水族館でメモを取ったりと、夢に向かって頑張っていたそうです。

もし、渡部陽一さんが魚博士になっていたら…さかなクンに匹敵する濃いキャラの博士になっていたかも!

 


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渡部陽一の出身小学校・中学校

 

画像引用:http://pds.exblog.jp/pds/1/201206/29/83/b0183583_1982777.jpg

画像引用:http://pds.exblog.jp/

 

渡部陽一さんの出身小学校は、静岡県立富士市立田子浦小学校。

出身中学校は、富士市立田子浦中学校です。

この頃も魚釣りが趣味で、小学校に行く前は、早朝に駿河湾で魚を釣り、家に持ち帰ってから登校していたそうです。

また、小学校に入学してから剣道をはじめた渡部陽一さん。

稽古はかなり厳しかったそうで、稽古のある日は、ストレスを感じてしまうほどだったそうです。

渡部さんは、この厳しい稽古があったからこそ、高校受験では、県立の進学高校を受験できたと語っています。

もしかしたら、現在の渡部さんの真面目なところは、この剣道で培われたのかもしれませんね。

中学校の時は成績優秀な生徒ではなかったと謙遜する渡部さん。

それでも、生徒会長を務めており、やはり当時から責任感の強く、人望のある生徒だったのかもしれませんね。

 

 

渡部陽一の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ

 

画像引用:https://pbs.twimg.com/media/DI34S4CV4AEADY7.jpg

画像引用:https://pbs.twimg.com/

 

剣道で高い精神力を培った渡部陽一さんは、静岡県立富士高等学校に進学しました。

富士高校の偏差値は72で、県内でも有数の進学校です。

渡部さんが、高校で最も影響を受けた人物は、古文の先生だったと語っています。

渡部さんは古文の先生に「字を書くときには、ゆっくりでもいい、ていねいに書くのですよ」と教わったらしいです。

これを受けて、渡部さんはゆっくり、ていねいに物を見て行けば、必ず答えは見えてくるということを学んだそうです。

大学は、バンカラにあこがれていたという理由で、早稲田大学を志望した渡部さん。

しかし、二浪の末、受験に落ちてしまい、明治学院大学法学部に進学しました。

ちなみに、明治学院大学法学部の偏差値は52です。

法学部に進学した理由は、弁護士や検察官などの困っている人を助ける仕事に就きたかったという理由だそうです。

学部の志望理由にも渡部さんの優しい人柄がにじみ出ていますね。

そんな渡部陽一さんが戦場カメラマンになったキッカケはアフリカ旅行でした。

大学の生物学の講義で紹介されたピグミー族という部族に興味を持った渡部陽一さん。

ピグミー族に会うために単身でアフリカのコンゴに旅に行ったそうです。

しかし、当時のコンゴはルワンダ紛争の真っ只中。

虐殺も日常的に行われる極めて治安の悪い国でした。

そんな治安の悪い国に、ノコノコと旅行に出かけた渡部陽一さん。

現地で武装した少年兵に襲われ、現金やカメラなどを身包み奪われます。

命からがら日本に帰国した渡部さんは、少年兵に襲われた経験を周囲に話しますが誰も信じてくれません。

カメラさえ奪われなければ、信じてくれたのに…と痛感した渡部陽一さん。

この思いがキッカケで戦場カメラマンになることを決意したそうです。

そして、渡部陽一さんがタレントとしてテレビ出演するようになったのは2009年の年末のこと。

キッカケは、TBS『1億3000万人の法則』への出演でした。

その番組で、独特な語り口が話題になった渡部陽一さん。

バラエティ番組を中心に、テレビ出演するようになりました。

 

まとめ

 

渡部さんの生い立ちは、一貫して自分の信念に従って進路を選んでいるように思えました。

渡部さんのように、周りに流されるのではなく、自分の考え方を大事にして生きる人ははカッコいいですね!

ぜひとも、渡部さんには、これからも戦場カメラマンとして、活躍し続けてほしいですね。

 


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