B’zのメンバーとして、数々の名曲を生み出してきた松本孝弘さん。
ギタリスト、音楽プロデューサー、作曲家、作詞家など、多彩な才能を持ち合わせ、日本を代表するアーティストの一人です。
そんな松本孝弘さんの生い立ちや学歴、そして芸能界デビューのキッカケについてご紹介します!
松本孝弘のプロフィール
《松本孝弘のプロフィール》
本名:松本 孝弘(まつもと たかひろ)
生年月日:1961年3月27日
出身地:大阪府豊中市
身長: 165cm
血液型:O型
所属事務所:vermillion
松本孝弘の出身地と実家の家族構成
松本孝弘さんは、1961年3月27日、大阪府豊中市にて誕生しました。
実家の家族構成は、両親に兄が1人の4人家族。
父親は、大手の製薬会社に勤めるサラリーマンです。
また、祖母は呉服屋を営んでいるため、裕福な家庭で育ったようです。
幼少時代の松本さんは、とてもおとなしく温厚。
大阪府豊中市にあった梅花幼稚園に2年間通ったそうです。
松本さんの両親は、ともに音楽ファン。
父親は、学生時代にグリークラブで活躍し、母親はクラシックファンだそうです。
松本さんが音楽の才能に恵まれているのは、こうした両親からの影響かもしれませんね。
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松本孝弘の出身小学校・中学校
小学校に上がった松本孝弘さんは、豊中市立上野小学校へ入学します。
小学校時代の松本さんは、地元の野球チームに所属します。
当時エレクトーンも習っていたそうですが、練習をさぼりがちになり、エレクトーンの先生から「月謝を返すのでやめてほしい」と言われ、やめたそうです。
以降は、大好きな野球一本に絞り、将来は野球選手になることが夢だったそうな。
そんな松本さんは、小学校3年生の時に父親の転勤で東京に引っ越します。
中学校は、練馬区立石神井中学校へ進学。
中学校でも野球に熱中していた松本さん。
そんな松本さんを音楽の道へと導くキッカケになったのは、中学校3年生の時。
15歳の誕生日に母親から、ビートルズのベスト青盤をプレゼントされます。
このレコードを擦り切れるまで聴いたという松本さん。
ギタリストのリッチー・ブラックモアに憧れた松本さんは、受験が終わるころには、ギターを買いに走ったそうです。
松本孝弘の出身高校・大学と芸能界デビューのキッカケ
画像引用:https://image.middle-edge.jp/
松本孝弘さんの出身高校は、東京・小平市にある錦城高校です。
同校は、現在は共学校となっていますが、松本さんが在籍時は私立の男子校でした。
現在は進学校として知られる錦城高校ですが、当時の偏差値は50台半ばだったようです。
高校時代の松本さんは、ハンドボール部に所属。
ですが、ほとんど練習には参加しておらず、幽霊部員だったそうです。
そんな松本さんは、中学同様に音楽にハマり、バンドを結成します。
ひたすらギターの練習に明け暮れ、多いときは1日10時間も練習をしていたそうです。
楽器店でアルバイトも経験し、バイト中もギターを弾いては店長に怒られていたそうな。
高校卒業後は、音楽の道を志し、専門学校・ミューズ音楽院に進学。
同校ではプレーヤー科に所属し、ギターを専攻していました。
ギターの技術はかなり高かった松本さんは、音楽事務所に所属し、プロのギタリストとしてキャリアをスタートします。
セッションギタリストや、アーティストのスタジオミュージシャンとして活動した後には、有名アーティストのツアーにも参加。
1988年には、稲葉浩志さんと出会い、B’zを結成。
同年には、メジャーデビューも果たします。
当初はあまり売れていませんでしたが、3枚目のアルバム「BREAK THROUGH」が大ヒット。
同年にリリースしたシングル「太陽のKOMACHI ANGEL」はオリコン1位となり、トップアーティストの仲間入りを果たします。
以降は、様々なヒット曲を連発し、日本を代表するロックアーティストとなったB’z。
アルバムの総売り上げは歴代1位、シングルは歴代2位という大記録も持っています。
まとめ
日本を代表するロックアーティスト・B’zのメンバーである松本孝弘さん。
その類まれな才能で、多くの名曲を作り上げてきました。
長年コンスタントにヒット曲をリリースし、絶大な人気を誇るB’z。
これからも日本を代表するアーティストとして、歴史的な名曲を生み出すことでしょう!
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