大迫勇也さんのポストプレーがあるおかげで、日本代表の攻撃の幅が広がっているといっても過言ではありませんよね。
そんな大迫勇也さんの出身校や生い立ち、サッカーを始めたキッカケについて調べてみたいと思います。
大迫勇也のプロフィール
《大迫勇也のプロフィール》
本名 :大迫勇也(おおさこゆうや)
生年月日:1990年5月18日
出身地:鹿児島県加世田市(現 南さつま市)
身長:182cm
血液型:O型
所属事務所:ブンデスリーガ・1.FCケルン
大迫勇也の出身地と実家の家族構成
1990年5月18日生まれ、鹿児島県加世田市(現 南さつま市)出身の大迫勇也さん。
実家の家族構成はお父さん、お母さん、3歳年上のお兄さん、大迫勇也さん、妹さんの5人家族です。
お父さんの名前は哲夫さん、お母さんは美津代さん、妹さんは果鈴さんという名前なんだそうですよ。
お兄さんの情報は残念ながらありませんでした。
ご両親は大迫勇也さんの活躍をとても応援されています。
ブラジルW杯のメンバー発表のときのこと。
当時監督をしていたザッケローニ監督が大迫勇也さんの名前を「ヨザコ」と間違えてしまったことがあります。
テレビを見ていたご両親は、息子の名前が呼ばれなかったと落胆。
しかし、その後ザッケローニ監督が間違いに気づき「オオサコ」と名前が呼ばれたことで、周りの誰よりも大喜びしていたんだそうですよ。
一度落ちたと思っただけに、選ばれて本当に嬉しかったのでしょうね。
sponsored link
大迫勇也の出身小学校・中学校とサッカーを始めたキッカケ
画像引用:http://c-channelnews.com/
大迫勇也さんの出身小学校は、公開されていませんでした。
出身が鹿児島県加世田市(現 南さつま市)なので、加世田市内の小学校に通われていたのでしょう。
大迫勇也さんは小さい頃からお兄さんについて回る子供だったそうです。
サッカーもお兄さんがやっていたことから自然と始めたんだそうですよ。
3~4歳の頃からボールを蹴っていて、それが近所の子供達みんなの習慣となっていたと当時を振り返っています。
そして小学3年生の頃から本格的にサッカーチームに入ったようです。
小学校時代の所属チームは弱かったようで、鹿児島県内でベスト32くらいのレベルだったそうです。
大迫勇也さんの出身小学校は、鹿児島育英館中学校です。
小学6年生でサッカー部のセレクションに合格し、新設されたばかりの鹿児島育英館中学校に進学しました。
中学時代には鹿児島県内にも名が知れ渡るほどずば抜けた選手となった大迫勇也さん。
中学卒業後の春休みには高校生に混じり遠征に参加するほどだったんだそうですよ。
大迫勇也の出身高校・大学
大迫勇也さんは育英館中学校を卒業後、提携校の鹿児島城西高等学校(偏差値37)に進学されています。
高校では1年生の頃からメンバー入りを果たし、レギュラーではなかったもののスーパーサブとして大活躍だったようですよ。
しかし高校2年の頃からは、チームの中心としての責任感の強さからスランプに陥ってしまったのだとか。
U-17 ワールドカップ韓国2007のメンバーからにも選ばれず、初めての挫折を味わったようです。
しかし、そこで腐ることなく、周囲の意見をちゃんと聞きながらひたむきにサッカーと向き合えたからこそ、今の大迫勇也選手があるのでしょう。
高校3年生のときには、全国高等学校サッカー選手権大会において、大会通算10ゴールという史上最多記録を残しています。
高校卒業後はJリーグの6クラブが大迫勇也さんの争奪戦を繰り広げられます。
そして、大迫勇也さん自身の希望により、鹿島アントラーズに加入されています。
まとめ
大迫勇也さん大迫勇也さんの出身校や生い立ち、サッカーを始めたキッカケについて調べてみました。
ハリルジャパンの絶対的なストライカーとして、W杯でも得点をとり日本に勝利をもたらしてくれることでしょう。
大迫勇也さんのロシアW杯でのご活躍を期待しています!!
sponsored link